労働相談・労働組合づくり相談

メーデーと8時間労働制

8時間労働の歌
おれたちは仕事をほっぼりだそうと思う。
おれたちはやっとこさ、生命をつなぐだけの金で働くことにまったくつかれきってしまった。
考える時間なんか一時間もないのだ。
おれたちはお天とうさまの光をあびたい。
おれたちは花の匂いをかぎたい。
神さまもきっとそうしたことをのぞんでいられるはずだ。
だからおれたちは八時間労働がほしいのだ。
おれたちは造船所や大小の工場から、おれたちの仲間をよびあつめよう。
第一の八時間は仕事のために、第二の八時間は休息のために、そして残りの八時間はおれたちの好きなことのために!
(「八時間労働の歌」R・Oボイヤー、H・Mモーレス著『アメリカ労働運動の歴史I』岩波書店)

8時間労働制の要求


国際メーデーのきっかけをつくりだしたのは、アメリカの労働組合が、1日の労働時間を法律で8時間以内と制限することを要求して、1886年の5月1日におこなったゼネストだ。

当時の労働者は、どこの国でも1日に12~14時間もの長時間にわたって働かされていた。

『資本論』(国民文庫版②分冊)の「第8章労働日」には以下の記述がある。
「ロンドンの大陪審の前に3人の鉄道労働者が…立っている。ある大きな鉄道事故が数百の乗客をあの世に輸送したのである。」「「最近の5、6年の間に14時間、18時間、20時間とねじ上げられ、…休みなしに40-50時間続くことも多い」(46~47頁)「ねじあげる」というのは超長労働時間を強いられる労働者の表現である。

1886年5月1日、シカゴ、ニューヨーク、ボストンその他の1万500以上の工場の労働者約35万人がストライキに突入し、8時間労働日や時間短縮を獲得した。しかし、ただちに資本家側が反撃に移り、5月3日には、シカゴのマコーミック・ハーヴェスターエ場で警官が発砲してスト労働者を4人も殺し、さらに翌日シカゴのヘイ・マーケッ卜広場で開かれた労働者の抗議集会にたいして、なにものかが爆弾を投げたのを合図に、弾圧がおこなわれ、アルバートー・パーソンズをはじめとする8名の労働組合指導者が逮捕され、処刑された。

しかしアメリカの労働組合は、たたかいの陣列をたてなおし、1890年5月1日にふたたびゼネストでたたかうことをきめ、各国の労働運動にたいして同じ日に同じ要求でたたかうように積極的に呼びかけた。これが国際的なメーデーの最初のものだ。

日本における第1回メーデーは1920年5月2日である。戦時下、1936~45年の10年間はメーデーが禁止され、第17回の復活メーデーは1946年5月1日であり、全国で2百数十万人が決起した。ネットでNHKアーカイブスの「蔵出し映像」を検索するとこの復活メーデーの映像を観ることができる。「先生がそこにいたから」との字幕が流れ、子供たちがメーデーのデモの隊列に入ってシーンが感動的だ。

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